徳之島を出た私達家族は再び大阪で暮らし始めた。
父は、毎日酒浸りで、女遊びやDV(精神的、肉体的、経済的)に家族は苦しめられるようになった。
次第に母も追い詰められて、心をむしまなれていき鬱状態になっていった。
私と善輝の表情から笑顔が消えてた。
ようやく、父の仕事
長距離のトラックの仕事で安定し始めたと思いきや、
当時手取りで100万円くらいある給料の中から母に手渡したお金は10万円。
残りのお金はその日のうちに酒代のつけ払いにほとんど費やし、残ったお金もあっという間に使い切った。
父は母に渡したお金をせびる日々。
祖母からもお金をせびっていたらしい。
当然暮らしは成り立たず、
母は少しずつためていたヘソクリを切り崩し生活をやりくりしていた。
なけなしのお金を渡すまいとする母を守ろうと私達きょうだいが父の前に手をあげることも多々
そんな私達を父は容赦なく殴りつけ、母からお金をむしり取ると家から出て行った。
自分の思い通りに物事が進まないことに対して腹を立て、見境なく暴れまくる姿
父は親離れ子離れ出来ずに大人になり損ねた人だったのかもしれない。
「誰のお陰で飯が食えると思っているんだ!!俺の言うことがすべて正しい!!逆らうんじゃない」
特に逆らうようなことがなくても父は常に高圧的な態度で、頭ごなしに私達を怒鳴りつけていた。
『いっそう、あんな奴、殺してしまえば
楽になるかもしれない』
溢れ出る殺意が抑えきれない、
何度も何度も何度も何度も父を殺す計画を試みた。
子供だった私にとって人を殺すというハードルは高く、
計画をしてもうまくいかない詰めが甘かった。
その度に、父にバレて返り討ちに合い、
いつも殺人未遂で終わる。
毎日が地獄
もがき苦しみ、生きている実感など感じられなかった。
「死んでしまいたい・・・・・・・」
何度も何度も何度も何度思っていたのかさえわからない。
父の居る家には帰りたくなかった。
電車に乗り込み何処か遠くに行って、
電車に飛び込むかビルから飛び降りようとしても
必ず邪魔が入る。
刃物を見ると何度もリストカットするようになり、
血が赤くそまっていくことに生きている実感をし
安堵感を覚えた。
大量服薬しても
結局誰かにみつかり直ぐに病院に運ばれ
死ぬことはできなかった。
何度も何度も何度も何度も
死にかけることがあっても死ねずにいた。
そのうち、臨時体験を繰り返すことなり
不思議な現象が起こり始める。
自分の意思とは関係なく
人には見えないモノと喋ることが出来たり、
次に何が起こるのかが分かる、
人が隠している感情を読み取ることで、
より一層他人と一緒にいることが苦痛になっていき、人を避けるように生きていくこととなる。
そんな私は、嬉しいとか悲しいとか
人を愛する感情が欠落してしたまま大人になった。
今思えば
当時の私はなんだかんだと言って、
人一倍愛情に飢えていたのかもしれない。
無表情の顔でいることが普通で、
棘のある鎧をきて 威嚇する日々
そうすることでしか
私自身の身を守ることはできなかった当時の私。
周りの人によく言われていた言葉
“怖い・近寄りがたい・冷たい”の三拍子。
それでも、
人は人
私は私なにが悪い
周りの目から私を見る目を気にすることはなかった。