長男龍を妊娠し、
早産となり
一か月の絶対安静の再入院となった。
19歳の10月14日、3330gの長男龍が産まれた。
龍は七瀬の時に比べて
全身が毛深く
あまり泣かない
大人しい子だなあと思っていた。
1歳の検診の時に
他の子よりもかなり発達が遅いと言われ、
何度か検査を行った結果。
知的障害と斜視と診断された。
その頃はずっと
持病である癲癇の薬を飲んでいたから
その副作用で龍の身体に影響をもたらしてしまったのではないかと
自分を責め立てた。
龍の知的障害を受け入れることが出来ない私に、
稀に満面の笑顔を見せるの龍の顔を見ると
『こんなときに嘆いている暇はない。
今自分にできることをしよう』
と自分を奮い立たせ、
検査をする為に何度も何度も病院に足を運んだ。
家事や育児と学校の勉強や翼の母絹子の介護を
病院に行く日々を送り悪戦苦闘を繰り返す中。
気持ちとは裏腹に子供達に
どうやって接すれば良いのか、
愛情をどう与えればいいのかさえ分からなかった。
今思えば、
当時の私は育児ノイローゼになっていたのだろう。
とても息苦しく、
常に苛立ち司や子供達に
当たり散らすようになっていった。
自分の思い通りにいかなくなると癲癇を起こし、
傍若無人のように暴言や暴力振るようになり
そのうち、
子供達は私の顔色を伺い、
怯え切った目で私を見るその姿は
幼少時代の私だった。
『虐待された子供は、
自分の子供に対しても
虐待をしてその悲劇は繰り返される』
記憶は朧げだが、
何かの雑誌の記事で見たことを思い出した。
『今の心はおとぅ(父)と同じことをやっている・・・
心はおとぅとは違う!!!!
そうか!!
近づきすぎては針鼠のように
お互いの針で傷つけてしまうから、
程よい距離感を保てば関係性は良くなるだろう』
自分の都合のいいように考えを正当化し
そして
何かと理由をつけて、
母と翼に子供たちの面倒を押し付けて、
育児放棄をし
翼と子供達と距離を置くようになっていった。