EVHA’s blog

なぜ生まれたのか?なぜ生きるのか?

最後の転生~実録自伝人間<蓮友 心>~11 人間9年目 「両親離婚・三女百合誕生」

小学校三年の夏に転機は訪れる。

母のお腹の中に小さな命が芽生えてはいたものの、

両親の離婚によって父から解放された。

 

 

 

沖縄にいる母方の祖父母が

大阪まで迎えに来てくれて

 

母や私、善輝と花蓮の3人は

再び沖縄に移り住むこととなる。

 

 

それからと言うのも、

母方の祖父母の家に私達家族は住み込み、

夏休みの期間中に三女の百合が生まれ

因みに私が百合と名付け親となる。

こうして5人家族となった。

 

 

 

これから起きる

百合との縁は深きものとなろうとは、

当時の私には知る由もなかった。

 

 

 

沖縄から戻って来た当初は、

物凄く

可愛がられたもの、

徐々に私達家族を邪険のように扱われ、

出戻り娘の子供として厄介者となり、

肩身の狭い生活を虐げられる。

 

 

 

『何処にも自分の居場所はないんだ…

 いったい心の居場所はどこにあるんだろう』

 

 

 

子供ながらずっと考えていた。

 

祖父母達は、

母を傷つけた

憎き父に姿や性格までソックリな私を毛嫌いし

憎悪を抱くような目で見るようになっていった。

 

 

 

「お前を愛することはできない。

 晶子を不幸にした秀に似たお前は特に憎い。

 顔を見るだけで吐き気がする」

 

 

 

祖母に言われたとき胸が痛くなったが、

この感情が何なのどこからくる痛みなのか

感じることができなかった

 

母方の祖母には

亡くなる最後の最後の瞬間まで

私の想いは祖父母に届くことはなかった。

 

 

 

幼い頃、私だけを見て欲しくて、

何度も何度もいろんな悪さもしてきた。

 

盗みや喧嘩、

警察沙汰になったりしてきたけれど、

恥さらしというレッテルを貼られ

祖父母たちからは見向きされず、

無視されて毎日を過ごすこととなる。

 

 

私の存在自体を認めて欲しかった

振り向いて欲しかった

憎まれても

嫌われていたとしてもいい

私自身存在自体を見て欲しかった

それでも、私は祖父母の事は

物凄く大大大大好きだった。

 

 

 

 

母子家庭となった母は

女一人で4人の子供を見る為に

朝から晩まで働いた。

 

 

 

 

一方、学校生活では、

小学校三年生の秋頃。

大阪から沖縄のとある学校に転入生としてきた私は、

人と関わることが苦手で一人で居ることが多かった。

 

 

 

何を考えてるのか分からない。

休み時間になれば木によじ登り、

草木に話しかける一風変わった子供。

 

目立たないようにしているつもりでも

声が大きいからなのか目立っていたのだろう。

なにかと虐めの対象となった。

 

 

例えば、

授業中に頭からジュースをかけられ全身ベタベタにされ、

靴箱には押しピン

机には生ゴミ

階段からは突き落とされ、

トイレの水を飲まされることもあった。

 

 

当時は、悔しい思いもし、

人知れずトイレや人気がない所で一人で泣いていた。

 

でも、泣き寝入りなどしたくなかったので、

やった人に対して

一人一人に同じことを味あわせてあげた。

それから、私を怖がり嫌がらせなどは

無くなっていった。

 

 

 

実は、人には言ったことがなかったことがある。

沖縄に来てから、

空に大きく手を広げ、天空と会話、

草木との会話をするようになっていた。

 

はたから見たら、かなりの変人。

誰も近づこうとしなかった。

 

 

でも

寂しさ 孤独を感じたことはなく

一人でいることで安堵感を感じていた

 

人は嘘をついたとしても

植物たち

自然たちは嘘つかない

 

 

 

 

私自身の身を守るのに必死だった

当時の私

 

 

そして

この頃から

一番年上である

私がしっかりしていないとダメだ!!!!

 

祖父母たちには

金銭面では迷惑かけまいと

 

祖母の働く新聞配達を手伝いをすることとなった。

 

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